武芸川めぐりに最適な看板が設置されました!
いらっしゃいませ!地方創生ライターえさゆうです♪
冊子「武芸川ふるさと名所探訪」をご存知でしょうか?
武芸川ふるさと名所探訪は、令和4年2月に「武芸川郷土史研究会」により発刊された冊子です。武芸川町の36箇所の名所が紹介されています。
関市立武芸川小学校では、毎年「ふるさと遠足」と名付けた校外学習が実施されており、既に30年近く続いています。ふるさと遠足は、全校児童が参加して武芸川町内の「史跡や施設」「神社・仏閣」などを見学する教育活動です。
この活動の案内役を武芸川郷土史研究会が担当しており、その時に「わかりやすくまとめた手引き書があるといい」との声を具体化したのが武芸川ふるさと名所探訪です。
令和6年3月。武芸川ふるさと名所探訪に掲載されている名所「18箇所」に案内看板が設置されました(設置者:武芸川まちづくり委員会)!
設置場所は、下記の通りです。
※括弧内は地区名です。
1.三洞の薬師様(寺尾)
2.烏帽子岩(寺尾)
3.瞽女岩(寺尾)
4.寺尾坂峠(日坂)及び寺尾坂の石仏(寺尾)
5.追分の地蔵様(洞)
6.白山神社毘沙門天像(桶森)
7.春の局 井戸・お局道(市場)
8.宇多坂峠・日本秘密大日尊碑(一色)
9.一色西国三十三観音(一色)
10.盥神社(宇多院)
11.桶森の池(宇多院)
12.宝見の屏風岩と立石及び不動明王(平)
13.権現山白山神社(小知野)
14.大日堂大日如来像(小知野)
15.多羅葉樹(小知野)
16.武芸八幡宮(八幡)
17.佛性寺・三十三観音(跡部)
18.大跡部王子寮(跡部)
武芸川には、たくさんの名所がありますが、これまでは下記の課題がありました。
●住所が特定できない名所があり、とてもわかりにくい場所にある
●名所の案内表示等がないために、そのスポットが名所とわからない
そんな課題に対して、地元のまちづくり団体「武芸川まちづくり委員会」が名所看板を設置。
案内看板内には、武芸川ふるさと名所探訪の冊子をオンラインで読める「WEBサイト(武芸川まちづくり委員会公式HPへリンク)」と、名所への「アクセスマップ」へリンクする二次元コードが掲載されています。
「アクセスマップ」の二次元コードを読み取っていただくと、下記を見ることができますよ!
看板設置のおかげで、なぜその場所が名所なのか?という「名所の理由」と、名所までの「アクセス」を知ることができるようになりました♪
この記事では、名所看板の設置場所(18箇所)をすべて紹介します。ぜひ、武芸川の名所めぐりにご活用ください!
1. 三洞の薬師様(寺尾)
寺尾谷の奥、杉木立に囲まれた三洞に「薬師様」が祀られている。薬師様は、犬が嫌いだったということから、集落では犬を飼うことをしなかったという民話が伝わっている。この薬師様は、耳が大きいことから、人々の願いをよく聞き叶えてくださるという。そのため願い事をする時や、願い事が叶った時、穴の空いた石を持参してひもに通し奉納し、お参りしたという。
2.烏帽子岩(寺尾)
烏帽子岩は、「新撰美濃志」によると「寺尾山の上にあり、高さ一丈余(約3メートル)、その形烏帽子を頂きたる如し」と記される奇岩である。地元では「ヨボシ岩」とも呼ばれ、えぼしの訛か、あるいは夕方の星を時刻の目安にしていたため「夜星岩」としたという説もある。
3.瞽女岩(寺尾)
瞽女岩は、寺尾千本桜橋付近の山麓にある。瞽女とは、三味線を弾き、歌を歌うなどして銭を乞う目の見えない女性をさす。いつの頃か定かではないが、瞽女がこの大岩に寄り添うようにして赤子を産んだことから、瞽女岩と呼ばれるようになったといわれている。
4.寺尾坂峠(日坂)及び寺尾坂の石仏(寺尾)
かつて寺尾集落に至る峠は、「日坂」と呼ばれていた。岐阜と高賀(洞戸)、加賀の白山を結ぶ最短距離に位置し、江戸時代から白山詣の通行が盛んであった。享保13年(1728)、谷口村・宇多院村の人々により、4尺(1.2メートル)に道幅が拡張され人馬の通行がより楽になった記念として地蔵菩薩・馬頭観音の石仏が建てられた。
5.追分の地蔵様(洞)
汾陽寺へ続く参道にある地蔵様で、 地元では「追分の乳地蔵」と呼ばれ、村人たちは母乳がたくさん出るように祈ったといわれている。 江戸時代、かの春日局もこの地に住んだこともあり、汾陽寺へ足しげく通ったお局道筋とされている。この地蔵様は道しるべともなったのであろう。
6.白山神社毘沙門天像(桶森)
谷口白山神社の毘沙門堂に祀られている「毘沙門天像」は、その丈2.4 メートルの木造である。今から約650年前に造立されたと推定されている。右手を上げて鉾を持ち、左手はひじを曲げて掌の上に宝塔をのせ、甲冑・天衣をまとい沓をはき、光背を背に邪鬼を踏んでいる。1994年4月、成城大学の清水眞澄教授の調査で、貴重な像であることが判明した。
7.春の局 井戸・お局道(市場)
春日局は、幼名を「お福」といい、斎藤利三の娘として大垣市の曽根城に生まれた。その夫稲葉正成は関ヶ原の戦いの後、慶長6年(1601)弟の開田孫六を頼って美濃国谷口の里に閑居した。お福も子どもたちを連れて夫に従い、この地で暮らした。お福が住んだと言われるお屋敷跡、使ったといわれる井戸が法泉寺西側に伝存し、汾陽寺への参拝に通ったお局道も残っている。
8.宇多坂峠・日本秘密大日尊碑(一色)
宇多天皇が美濃に巡幸された時の道筋(宇多街道)で、山県市高富椎倉と武芸川町宇多院一色の境界の峠を「宇多坂」と呼んでいる。宇多天皇は、この坂を輿に乗って越されたという言い伝えがある。峠には、通行者の安全を願って建立された「日本秘密大日尊」の立派な碑がある。今は、ひっそりとしてここを通る人影は、ほとんど無い。
9.一色西国三十三観音(一色)
一色の西稲葉に通じる旧道沿いの東側の山道約250メートルにわたってほぼ等間隔に観音石像が安置されている。いずれも内径高さ85センチ、幅、奥行きとも45センチ程の自然石で積まれた石龕の中に納められている。古老の話によると、江戸時代寛政年間に西国三十三霊場の巡拝を成就した人たち7名により建てられたといわれている。
10.盥神社(宇多院)
59代宇多天皇が巡幸の折に病に倒れ、この地に葬られた。そこを宇多天皇の幼名からとって「定見塚」と伝えられ、明治6年(1873)この場所にお堂が無かったので氏子衆らにより建立された。この時、近くの日吉神社から、宇多天皇と伝わる「宇多御神像」を奉安し「盥神社」と称した。住民からは親しみをこめて「おたしろ様」と言われるようになった。
11.桶森の池(宇多院)
清瀬神社の山中に「桶森の池」があり、いつも水位が一定している霊泉池として、神社等の祭礼の際は、ここの水が使用される。59代宇多天皇が行幸の時に、身を清められたとされる。その折、宇多天皇が不幸にも病に倒れられたため、この地に葬られたという。清瀬神社の近くに盥神社としてお奉りしている。
12.宝見の屏風岩と立石・不動明王(平)
屏風岩は中平の宝見神社西側の山に、屏風のような絶壁をなしている。壁面には、木立に隠れ気味であるものの遠望すると高下駄を履き笈摺を背負った役行者の後ろ姿にも見えるという。この絶壁の上に「宝見の立石」と呼ばれる高さ約3.4メートルの細長い石が見られる。その昔は、2個の石があった。この崖下に、不動明王が祀られている。
13.権現山白山神社(小知野)
伝えによれば加賀白山神社の分身とされる白山神社が承応2年(1653)、檀徒総代山田新右衛門によって建立され、毎年7月16日に本祭りが執行されて来た。海抜509mの権現山山頂に同社が祭られている。かつての本祭りには、延々と山頂まで列をなしての参拝者が続いたという。なお権現山は、武芸小学校の校歌の中にも「一つ尾」として歌われている。
14.大日堂大日如来像(小知野)
創建年月は不祥である。川から流れてきたといわれる大日如来像は、平成8年(1996)、12月に火災で焼けた。その後1年を経て平成9年(1997)、地区内の山田義行氏により復元され、お堂も再建された。完成した大日如来像は、桧で造られている。地元では、「大日様」と呼ばれている。
15.多羅葉樹(小知野)
多羅葉樹は本州の静岡以西から九州、中国、四国地方に分布する。雌雄が異株で花期は4~5月頃。4ミリほどの小さな淡黄緑色の花が群れて咲く。秋には小さな球状の赤い実がなり、葉は肉厚で20センチほどの長楕円形をしている。日本では、葉の裏に経文を書いたり、葉を焼いて占いに使用したため寺社に植樹されることが多い。
16.武芸八幡宮(八幡)
武芸八幡宮は、武芸川と言わず関市を代表する観光スポットです!こちらには、すでに大きな看板が設置されているので、小さな看板が取り付けられました。
すばらしい場所なので、ぜひぜひ行ってみてください♪
17.佛性寺・三十三観音(跡部)
慈尊山佛性寺は、浄土宗西山禅林寺派のお寺で現在は無住寺となっているが、信徒によって日頃の清掃などが行われ守られている。境内には、西国三十三観音が祀られ、今も朱色が残り、美しく並んでいる。毎年秋には、この観音様のお祀りが檀徒によって執り行われ、美濃市の来昌寺より住職を招き、法要や説教が行われている。
18.大跡部王子寮(跡部)
跡部の御輿山に大跡部王子が祀られている。恵利寺の寺史によれば王子は、父である武烈天皇の悪政を嫌い美濃の国の跡部におみえになったと伝えられている。王子が亡くなられた後、住まいのあったこの地に葬られ御輿山と名付けられたという。大跡部王子陵へと続く急な坂に、地元の大跡部神社の氏子ら6人が中心となり、階段や手すりを整備した。
いかがでしたでしょうか?
武芸川には名所がたくさんあります。そこが「なぜ名所なのか?」を知りながらめぐるとますます楽しいですよね!
名所の場所がよくわからなかったり、もっと詳しく知りたくなった方は、武芸川まちづくり委員会までお問い合わせください!
ではでは〜♪
Information
武芸川名所看板
設置者:武芸川まちづくり委員会
名所探訪冊子の発行者:武芸川郷土史研究会
お問い合わせ:0575-46-3611(武芸川まちづくり委員会)
※武芸川ふるさと名所探訪の冊子が、下記リンクからオンラインで読めます。